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瀬戸大橋開通の明暗

昨日、4月10日は、
瀬戸大橋開通の日でした。
今年で25周年です。
四国と本州が橋で結ばれ、
車と電車で移動が可能になりました。
瀬戸大橋開通を契機に、
四国は脚光を浴びました。
しかし、
ニュースにもならない、
別の面もありました。


瀬戸大橋開通当時、
私は旅行会社に勤めていて、
関西からの新しい旅行先として、
瀬戸大橋を利用しての
四国へのバス旅行が
一つのブームになりました。
交通網の整備のもたらす
効果は幅広く、大きいものです。
観光だけでなく、
多くの産業でも注目が集まり、
四国の発展に寄与しました。
この瀬戸大橋ですが、
自動車道路とJRの電車、
両方が利用出来ます。
では、瀬戸大橋が開通する前は
どうだったのでしょう?
瀬戸大橋以前、
四国への玄関口は、
岡山県玉野市にある
宇野でした。
実は、ここは私の育った故郷です。
車ごと乗れるフェリーが、
航路も国道の一部として
扱われていました。
その国道フェリーの
本州側の港が宇野港でした。
年末には四国への帰省の車の
フェリー待ちの列が
何キロも並ぶのが風物詩でした。
私の自宅も、
そのフェリー待ちの列の
あった場所にあります。
それが開通の年の年末には、
まったくいなくなったのです。
JR(当時は国鉄)は連絡船で、
本州と四国の駅をつないでいました。
その連絡船の
本州側の駅が宇野駅でした。
想像出来ますか?
瀬戸大橋開通までは
通っていた四国に渡る車、人が、
開通の日からは、
全く来なくなったのです。
当然、
それに関わる
産業も雇用も失われました。
役割を終えた
と言ってしまえば、
その通りです。
経済的にダメージを受けた人は、
真面目に、普通に働いていたのであって、
本人たちが悪いわけではありません。
理不尽?
確かに、理不尽です。
でも、
玉野市は、今も存在しています。
かつてのような賑やかさは
ありません。
でも、たくましく生き残っています。
私は、
阪神大震災も体験しました。
自分の力の及ばないことで、
大きく環境が変わってしまうことが
あります。
それでも、
新しい環境を受け入れ、
新しく何かを創造していくしかありません。
しばらくは、ショックもあります。
すぐには動けないものです。
でも、いつかは受け入れ、
前を向き、立ち上がります。
その強さ、たくましさを
人は持っています。
現実を受け入れて、
前に進む
そんな強さを身につけたいものです。

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